Profile

1977年高知県に生まれる。1990年小説『坊ちゃん』の舞台である愛媛県松山市で愉快な寮生活を送る。自らを含め、スクールウォーズの影響を受けた悪友達の影響でラグビー部に所属。友人の影響、そのほか幼少時の怪我とその時に受けた治療がきっかけでなんとなく医師を志し、1996年岡山大学医学部に入学。モラトリアムとサークル活動を謳歌し、留年。2003年医学部卒業後は、母校に残らず上京、2004年自由な雰囲気の横浜市立大学眼科学教室に入局、研究に興味はなかったが、人員の都合で主任教授より角膜移植手術の研究を命ぜられ、泣く泣く開始。当然研究成果は上がらず、通い始めたジムで予想外の筋肉の成長を経験。半年程度をジムの中で過ごした。

その後、指導医が退職してしまい、宙ぶらりんになったところを東京大学の山上聡先生(現在、日本大学医学部主任教授)に声をかけていただき、国内留学をすることになる。研究成果が突然現れ始め、興味のなかったものが突然面白くなり、角膜手術に一気にはまっていく。手術は嫌いであったが、顕微鏡手術と個人的興味が見事にはまり、一気に取りつかれていく。

その後も所属する横浜市立大学の人事には乗りつつも、角膜外科医としてより一流になりたいという思いから、神の手を持つと呼ばれる2011年に東京歯科大学市川総合病院、島崎潤教授の門を叩く。1年余り必死で修業を積み、2012年横浜に戻る。当時、神奈川県は都心にもかかわらず、角膜手術の専門家が少なかったため、角膜移植外来を立ち上げ、年間0件から開始し、2年ほどで年間100件前後の手術を行い、全国4位の実績を作った。医師一人当たりの件数としては非常に多いといえる。

2014年最先端の移植手術を学ぶため、国内の他の地の同僚とドイツに渡り、早速導入した。その時ドイツで知り合った仲間の縁で、2019年5月よりドイツ政府の研究者として選定され再度渡独。この手術は角膜内皮移植術(DMEK)手術と呼ばれ、角膜の裏側が痛んだ患者さんが対象となるが、傷んだ壁紙を丁寧に剥がし、サランラップのような薄い膜一枚を損傷せずにガスの浮力で貼り付けるという神業的な手術手技である。

角膜移植以外にも複雑症例の白内障手術や、人工レンズのトラブルに対する修復術、乱視が進行する円錐角膜治療、翼状片手術なども専門としている。

『難しい目でも諦めないで、患者さんと一緒に前向きに頑張る。見える目にする。最新最善の選択肢を提示する。治療結果を分析し、研究することでさらにより良い治療を模索する。』

これが診療のモットーです。

テーマ

世界最高の治療を日本で提供できるように、進化を続けたいと思います。 そのためなら日本各地へ出向きます。国境国籍を越えて、たとえば、組織ではなく、自分の治療を求めて理解してきてくれるようなそんなドクターでありたいです。また、自分がこのように前向きに仕事をできているのは今までに多くの出会いがあり、友人たちに支えられてきた結果であり、今後も出会いを大切にして前を向いていきたいですね。多くの外科医を指導してきました。自分もまだまだですが、教育を頑張っていきたいです。

今後の展望

友人と一緒にサイバー大学の眼科医局を作り、日本の研究を世界に向けて発信、同時に医師教育も行っていきたいですね。

専門分野

角膜、眼表面、白内障

対応手術

角膜移植手術、ドライアイ手術、屈折矯正手術、白内障手術、無水晶体眼や眼内レンズトラブルに関する治療(人工レンズ縫着手術、硝子体手術)

円錐角膜手術(角膜内リング、角膜クロスリンキング)

略歴

2003年3月      岡山大学医学部卒業

2003年5月       医師免許取得・医籍登録(432353)

2004年4月       横浜市立大眼科入局、横浜市立大学大学院医学研究科(視覚病態学講座)入学

2006年4月       東京大学角膜組織再生医療講座研究生

2008年3月       博士(医学)取得(横浜市立大学 甲 第930号)、学位論文題目「A mouse model of corneal endothelial cell transplantation」(横浜市立大学医学研究科修了)

2011年4月       東京歯科大市川総合病院、角膜フェロー

2014年4月  横浜南共済病院眼科医長、科長

2018年4月 横浜市立大学眼科臨床准教授

2019年5月 ドイツ連邦・ケルン(Cologne)大学、客員研究員

(Alexander Humboldt fellowship program)

2019年8月 広島大学医学部『医療のためのテクノロジーとデザインシンキング』講座 客員研究員

林 孝彦

林 孝彦